卵内殻より

考えてるけど答えは出ず

若手イケメン俳優(もしくは2.5次元舞台俳優)と言う宗教学

このブログを書き始めて、少しずつ自分の考えをまとめて自分の中に落とし込む作業と言うのができるようになってきた気がします。

いわゆる社会人になってもうずいぶん経つのに、そう言う事をせずに過ごしてきたところがあるので、普通の人よりも数倍何も考えないで行動したりするので、少しずつ良い影響があって(実際はどうか解らないけど)、自分の為にも、書き始めて良かったなあとか最近思います。

 

さて

 

友人が先日「プロテスタントの三大原理」がおっかけ的な意味で沁みると言っていて、

聖書のみだから本人を離れた伝承に権威づけしてはいけないし、信仰のみだから儀礼(特にお金のかかるもの)では救われないし、万人祭司だからTOや古参から先に天国への扉を開けられるわけじゃないんだ~と…

(引用許可取り済)

感銘を受けた次第です。簡単に「わかる~」で済ませたくなくて、自分が思っていた事なども、もう少し良く考えて記録しておきたいなと思いました。

 

 

こちらのアンケートを見かけて、面白そうだと思って自分も答えてみました。

私は3つ目の「宗教(生きる希望)」にしました。

自分の答え的には確かに「宗教」なんですが、こう、生きる希望とかの心の拠り所の様な意味(もありますが、それ)よりは「学問」のような立ち位置が最近強くて、半分くらいはそのような意味で宗教にしました。

 

随分前に面白半分で神話のような書き方でテニミュを紹介する文章を書いたのですが、それが何となく自分の中にストンと落ちてきて、あー、私はテニミュをそう言う風にも観ているんだなと納得しました。

日本の祭事の成りたちみたいな、ミュキャスは巫女で、その中でとりわけ青学1年トリオの三人は私たち客席にとても近い司祭でもあるんだとか。

ただのファン心がするすると信仰・信心に移行する様子を自分の中に見つけたような気持ちで、驚きました。

 

私にとってはテニスコートに立った推し君が、対戦相手の子と一緒になって「殺してやる」という表情で試合をするシーンは、奇跡以外の何物でもなかった。

あらゆる宗教の元になった「主」の「奇跡」に匹敵する現象。

 

 現在、世にある宗教のほとんどは誰かが口伝を書き起こしたものだったり、更にそれを本に作者の解釈を通して描かれた絵画だったり、複数のフィルターを通して見た「奇跡」の断片を残すのみです。

誰も本物の「奇跡」を直接観る事はできません。

でもこの若手イケメン俳優(主に2.5次元舞台俳優)と言う宗教は大体6000円~で、観劇した、それぞれの、その人の為の「主の奇跡」を観る事ができます。

若手イケメン俳優(主に2.5次元舞台俳優)と言う宗教は少しずつ文化の形を成してきています。

文化が先の様な気もしますが、私は無意識・意識的問わず、まず信仰・信心があったからこそここまで大きく膨れ上がってきた界隈だと思っています。

沢山の人の評論や文章が読めて、沢山の人が考える事が知れてとても楽しい。

このブログを始めて、こちらでも、色々な方の信仰の話や信心深さなどを見て、それを元に自分の信仰・信心について考え友人達の話を聞き、推し君の奇跡を観に行き、そしてまた自分の信仰・信心の在り方を考える。

学生の頃よりも随分と楽しく、長く続けていきたい学問だなと思いました。

元々まとめる事が苦手だった上に、この授業は現在生きている主を追う事でしかページを進める事ができませんので、これからもうんうん悩むんだろうなと思います。

 

これからもいろんな方のノートを貸して頂けると有難いなあ。

 

書き終わって公開してからあっと思ったんですけど

割と気持ち悪い話なんですが、テニミュと推し君の舞台をぶっ続きで観に行くと決まってから、マジでロザリオの作り方を調べてできるだけ本物に近い形のブレス レット型ロザリオを作りました。

私、暗闇の中でも動いてる人を観たいから開演直前暗くなる前に目を閉じて暗闇に目を慣らすんですが、その間ずっと石を順番に撫でてる。